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東京高等裁判所 平成8年(ネ)4411号 判決 1998年7月13日

控訴人 イハンネ(李鶴来) ほか七名

被控訴人 国

代理人 岸秀光 菅谷久男 山中正登 綿谷修 東村富美子 吉弘基成 川口泰司 大圖明 近藤秀夫 関小百合 川上忠良

主文

一  控訴人らの本件控訴(金員の支払請求に係る部分)をいずれも棄却する。

二  控訴人らの当審における新請求のうち、謝罪文の送付を求める部分をいずれも棄却し、国家補償立法を制定しないことの違法確認を求める第二次的請求に係る訴えをいずれも却下する。

三  当審における訴訟費用は、すべて、控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  第一次的請求

(一) 被控訴人は、控訴人李鶴来、同尹東鉉、同金完根、同文濟行、同卞光洙及び同芦澤承謙に対し各二〇〇万円、同李學順に対し一二〇万円並びに同朴一濬に対し八〇万円をそれぞれ支払え。

(二) 被控訴人は、控訴人らに対し、別紙記載の謝罪文をそれぞれ送付せよ。

3  第二次的請求

被控訴人が韓国・朝鮮出身の元BC級戦犯者たる俘虜監視員に一人当たり二〇〇万円を支給する国家補償立法を制定しないことは違法であることを確認する。

4  訴訟費用は、被控訴人の負担とする。

5  2(一)につき仮執行の宣言

二  被控訴人

1  控訴(金員の支払請求に係る部分)について

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は、控訴人らの負担とする。

(三) 仮執行免脱の宣言

2  当審における新請求(謝罪文送付請求及び国家補償立法不作為違法確認請求)について

(一) 本案前について

(1) 控訴人らの第二次的請求(国家補償立法不作為違法確認請求)に係る訴えを却下する。

(2) 前項の訴えに係る訴訟費用は、控訴人らの負担とする。

(二) 本案について

(1) 控訴人らの請求をいずれも棄却する。

(2) 訴訟費用は、控訴人らの負担とする。

(3) 仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事実関係等

控訴人李鶴来、同尹東鉉、同金完根、同文濟行、亡卞鐘尹(控訴人卞光洙の父)、亡文泰福(訴訟承継前控訴人で、控訴人芦澤承謙の父。以下「原告文泰福」という。)及び亡朴允商(訴訟承継前控訴人で、控訴人李學順の夫、同朴一濬の父。以下「原告朴允商」という。)(以下、右七名を一括していうときは「戦犯者控訴人ら」という。)は、いずれも日本統治下の朝鮮(現在の韓国)で出生し、第二次世界大戦中に、日本陸軍の軍属(傭人又は雇員)に採用されて俘虜監視員として勤務し、終戦後、連合国軍の軍事法廷において、戦犯者として戦争裁判を受け、死刑又は刑期一〇年ないし二〇年の拘禁刑を宣告され、刑の執行を受けた者である。

その事実経過等に関する控訴人らの主張の詳細は、次のとおり訂正し、又は削除するほかは、原判決別紙「原告らの主張」の「第一章 被告日本国の行為に因り原告らが被った戦争の惨禍」に記載のとおりである。

(一)~(七六)<略>

2  条理に基づく国家補償(補償金支払及び謝罪文送付)請求

(一) 国家起因性の犠牲に対する補償

「民事裁判ニ放テハ成文アルモノハ成文ニ依リ成文ナキトキハ慣習ニ依リ成文慣習共ニ存セサルトキハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ」と定められている(明治八年太政官布告第一〇三号裁判事務心得三条。この規定は、大日本帝国憲法七六条の「此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令」に当たり、日本国憲法九八条の「その条規に反する法律」等に当たらないから、現在でも有効である。)。ここに「条理」とは、実定法体系の基礎となっている基本的な価値体系である。すなわち、条理は、諸法の基礎となっている基本的な価値体系を推考することによって発見されるものである。

しかして、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律、戦傷病者戦没者遺族等援護法、台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律、ドイツの戦後補償法、日系アメリカ人の強制収容に対する戦後補償法(市民的自由法)、日系カナダ人の強制収容に対する謝罪・補償法、オーストリアの戦後補償法(ナチス被害者賠償国家基金を定めるオーストリア連邦法)等の基礎となっている基本的な価値体系を推考すると、戦争という国家の行為によって起こった重大な人権侵害について、戦争遂行主体であった国家が自らの責任により補償すべき義務を負うという条理が厳存していることは明らかである。

その詳細については、原判決別紙「原告らの主張」<略>を引用する。

なお、控訴人らの条理に基づく補償請求権が、昭和四〇年の日韓請求権協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定。以下同じ。)の発効によって影響を受けるものではないことについては、原判決別紙「原告らの主張」<略>に記載のとおりである。

(二) 象徴的補償とその金額

(1) 控訴人らの請求に係る国家補償としての補償金は、右(一)においてみた、過去に政府が行った多大な人権侵害行為について明確に謝罪するとともに補償金を支給するアメリカ合衆国及びカナダの立法例や戦後補償政策の根底にある条理に基づく、日本国憲法の最も基本的な原理である個人の尊厳・人間人格の尊厳への重大な侵害を被っているコリアンガードらに対する謝罪の象徴としての補償、すなわち、謝罪が決して口先だけのものでないことを示すための金銭的補償である。

(2) そして、次のような国内外の先例に照らしてみると、戦犯者控訴人ら被害者個人に支給されるべき象徴的補償としての補償金の額は、条理上、少なくとも各二〇〇万円を下ることはない。

イ 前記(一)のとおり、日系アメリカ人及び日系カナダ人の各強制収容者に対する補償金の支給額は、それぞれ二万ドル(約二〇〇万円)及び二万一〇〇〇カナダドル(約二〇〇万円)である。

ロ 台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律に係る給付金の額は、二〇〇万円と規定されている。

ハ 強制連行され死亡した元徴用工の遺族による戦後補償請求訴訟で、被告とされた企業(日本製鉄。現在の新日本製鉄)は、遺族に一人当たり二〇〇万円の弔慰金を支払い、原告側は訴えを取り下げている。

(三) 謝罪文送付請求

謝罪文の送付と補償金の支給とを併せて行うアメリカ合衆国及びカナダの立法例や戦後補償政策の根底には、控訴人らの別紙謝罪文の送付請求権を基礎付ける条理が厳存することは改めて指摘するまでもないところであり、日本国憲法の最も基本的な原理である個人の尊厳・人間人格の尊厳に対する重大な侵害を被っている控訴人らの条理に基づく謝罪文送付請求権は、憲法も承認しているものである。

よって、控訴人らは、被控訴人に対し、条理に基づき、別紙謝罪文の送付を求める。

3  債務不履行に基づく損害賠償請求

この点についての控訴人らの主張は、次の(二)及び(三)のとおり当審における主張を付加するほかは、次の(一)において引用する原判決に記載のとおりである。

(一) 雇傭契約関係の成立等

被控訴人と戦犯者控訴人らとの間における雇傭契約関係の成立及びその内容、被控訴人の雇傭契約上の義務とその違反及び強度の背信性並びに戦犯者控訴人らの被った損害との因果関係については、原判決別紙「原告らの主張」<略>に記載のとおりである。

なお、仮に戦犯者控訴人らと被控訴人との関係が雇傭契約であっても、原判決のいうように戦犯者控訴人らが軍属であるがゆえに、一部公法関係の適用を受けると解すべきであるとしても、控訴人らが雇傭契約上の義務として主張するところは、公法上の義務としても、条理上当然に認められるべきである。

(二) 安全配慮義務違反

被控訴人は、俘虜監視員の勤務の安全のために俘虜の収容管理全体を国際法に則って人道的に運営する義務を負っていたにもかかわらず、これを果たさず、原判決別紙「原告らの主張」<略>に記載のとおり、俘虜を消耗品扱いし、「無為徒食を許さず」とする国際法違反の非人道的な俘虜政策により、食料品、医薬品等が不足したまま、過酷な強制労働に俘虜を使役し、あるいは民間人抑留者を抑留して、多くの俘虜・抑留者を死亡させ、辛うじて戦後まで生き延びた俘虜でさえも、俘虜生活中の衰弱による病死やその他心身ともに後遺症にさいなまれるなどの甚大な被害を発生させたのであり、しかも、生存者俘虜の憎悪の対象が俘虜に最も身近で日常的に接触していた戦犯者控訴人らコリアンガードに向けられるようにし、その結果として、戦犯者控訴人らは、戦争裁判において、食料品、医薬品等が欠乏した状況下で鉄道建設などの軍事工事に俘虜を強制労働させて虐待したなどとして、個人としての責任を問われ、重罰に処せられたものである。したがって、被控訴人は、このような戦犯者控訴人らに対する安全配慮義務に違反した行為により戦犯者控訴人らが被った損害を賠償する義務がある。

なお、第二次世界大戦前の国際法の通説的理解によっても、戦闘行為終結後に戦争犯罪人が交戦国によって処罰されることは予見し得たものである。また、戦犯者控訴人らに被害をもたらした戦争裁判が被控訴人によってされたものでなく、被控訴人の支配が及ばない事柄であるからといって被控訴人が責任を免れる旨の主張は、「戦争の惨禍」を「政府の行為」により起きたものとしている憲法の歴史的確認を無視し、憲法の承認する条理を踏みにじるものである。

(三) 損害賠償額

被控訴人の債務不履行による戦犯者控訴人らの損害は、二年以上にわたって違法な業務に従事させられた精神的苦痛に始まり、死刑宣告と死刑による精神的財産的損害、死刑宣告と減刑後の拘禁刑による精神的財産的損害又は拘禁刑による精神的財産的損害であり、釈放後の不当処遇による精神的損害をも含め、甚大なものであって、到底筆舌に尽くし難いものであるが、本件訴訟ではこれらの損害を一括して評価し、請求することとし、その額は少なくとも前記2(二)の条理に基づく象徴的補償の額(二〇〇万円)を下らない。

4  国家補償立法不作為違法確認請求

控訴人らの補償要求と被控訴人の対応及び違法確認判決の可能性についての主張の詳細は、原判決別紙「原告らの主張」<略>に記載のとおりである。

このように、補償立法の不存在は条理に反するものであるが、被控訴人には、韓国・朝鮮出身の元BC級戦犯者たる俘虜監視員一人当たり少なくとも二〇〇万円を支給する国家補償立法をなすべき条理上の作為義務がある。しかるに、被控訴人は、昭和三一年以来の控訴人らの要求にかかわらず、これを四〇年余にわたり怠ってきたものである。

よって、右立法をしないことの違法確認を求める。

二  請求原因に対する認否と反論

1  控訴人らの主張に対する被控訴人の認否及び反論は、原判決七頁九行目から同二〇頁一〇行目まで及び同二一頁七行目から同三〇頁三行目までに記載のとおりである。

2  安全配慮義務は、労務提供(公務遂行)の過程で生じることのある危険の防止に係るものであるが、控訴人らが主張する「連合国の戦争裁判によって被った控訴人らの戦争被害」は、労務提供(公務遂行)の過程で生じることのある危険に係るものではない。

第三証拠

<略>

理由

第一事実関係

一  本件の背景事情

<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。

1  日韓併合とその後の皇民化政策

明治四三年八月二二日のいわゆる日韓併合条約の締結によって、日本国は、朝鮮国を併合し、朝鮮半島を日本国の領土に加え、その統治下に置いた。その後、特に、昭和一〇年代になると、日本国は、朝鮮半島内において、学校での朝鮮語教育を廃し、日本語を常用させるとともに、皇国臣民の誓詞の斉唱、君が代斉唱、宮城遥拝や神社参拝の強制、更には日本風の姓名を名乗らせる創氏改名を行うなどいわゆる皇民化政策を急速に堆進していった。

さらに、昭和一四年ころ以降には、多数の朝鮮人の日本への強制連行が行われるようになり、昭和一九年に実施されることになる朝鮮人に対する徴兵制に先立って、昭和一三年以降には、朝鮮人を日本軍の兵士に志願兵として動員する動きも始まっていた。このような中で、日本政府(陸軍省)は、昭和一七年五月、後記のとおり、南方における俘虜の処理要領を策定し、朝鮮人及び台湾人を軍属として白人俘虜の監視に当たらせることを決定し、朝鮮半島において、約三〇〇〇人という大規模な俘虜監視員の募集が行われることになったが、右決定については、白人俘虜を朝鮮人及び台湾人に監視させることによって、植民地の民衆(朝鮮人、台湾人)の白人にはかなわないという意識を払拭し、大日本帝国の実力を認識させ、皇民としての誇りを持たせるという意図があった。

2  日本の俘虜政策

(一) 日本国は、日清戦争及び日露戦争においては、その各開戦の詔勅に国際法の遵守を明記するなど、国際法を遵守し、俘虜を人道的に処遇する姿勢を示して、国際社会における地位の向上を図っていた。明治四〇年には、俘虜の人道的取扱いの原則を定めた「陸戦の法規慣例に関する条約」(ハーグ条約)に調印し、明治四四年にこれを批准していた。

しかし、昭和四年七月二七日に成立した「俘虜の待遇に関する条約」(ジュネーブ条約)については、これに調印はしたものの、軍部の反対により、批准には至らなかった。ジュネーブ条約は、俘虜に対する人道的取扱い、暴行等からの保護のほか、俘虜収容所の設備、俘虜の食料及び被服、俘虜収容所の衛生、俘虜の労働、俘虜に対する処罰等について詳細に定めたものであったが、海軍の反対理由は、「帝国軍人の観念よりすれば俘虜たることは予期せざるに反し外国軍人の観念に於いては必ずしも然らず従て本条約は形式的には相互的なるも事実上は我方のみ義務を負う片務的のものなり」、「本条約の俘虜に対する処罰の規定は帝国軍人以上に俘虜を優遇しあるを以て海軍懲罰令、海軍刑法、海軍軍法会議法、海軍監獄令等諸法規の改正を要することとなるも右は軍紀維持を目的とする各法規の主旨に徴し不可なり」などというものであった。

(二) 昭和一六年一月八日に示達された戦陣訓は、本訓其の二の「第八 名を惜しむ」の中に「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」と定め、敵軍の俘虜になることを軍人の最大の恥辱としていた。このような極端な投降否定を内容とする俘虜観の結果、日本の軍人の俘虜となった者の数を戦死者の数と比べた割合は、連合国の軍人のそれに比して極めて小さいものであったし、また、日本軍の俘虜となった連合国の軍人に対する処遇を劣悪なものとすることとなった。

(三) 昭和一六年一二月八日の真珠湾攻撃に始った太平洋戦争は、日本軍優勢のうちに進展し、昭和一七年二月のシンガポール陥落などにより、日本軍は、予想を遥かに上回る俘虜を抱えることになった。

そこで、同年四月下旬に行われた陸軍省の局長会同において、このように大量に発生した俘虜の処遇について論議され、労働力の不足を補うため、俘虜の全部を強制労働に服させること、俘虜の収容所を南方だけでなく、日本国内、台湾、朝鮮等に設けて、白色人種には絶対かなわないと諦めていた東亜各種の民族に、日本に対する信頼感を起こさせるようにすることなどの方針が決められた。なお、右決定に当たっては、準士官以上の俘虜を労働に服させることはジュネーブ条約に違反している旨の指摘がされたが、日本はジュネーブ条約を批准していないため、その精神は尊重するが、国内情勢上労働に服させることとして、大臣より裁決が与えられた。

同年五月五日、陸軍省は、南方軍に対し、右方針に従った南方における俘虜の処理要領を策定したが、その中で、俘虜収容所の警戒取締りのため、朝鮮人及び台湾人で編成する特種部隊を充当すること等が定められた。

3  泰緬鉄道建設工事

昭和一七年六月のミッドウエー海戦の敗北によりインド洋への制海権の確保が困難となったことから、大本営は、ビルマ方面への海上輸送路に代わる輸送手段を確保するため、南方軍に対し、同月、泰緬鉄道建設の準備命令を発し、次いで、同年一一月、その実施命令を発した。泰緬鉄道建設工事は、タイのノンブラドックを起点として、北西方向に進んでジャングルに分け入り、ビルマのタンビザヤを終点とする全長約四一五キロメートルの間に鉄道を建設しようとするもので、完成期限を昭和一八年一二月とし、連合国の俘虜等を使役することが予定されていた。右準備命令を受けた南方軍は、南方軍鉄道隊に対して泰緬鉄道建設命令を発し、工事に着手したが、俘虜約五万五〇〇〇人、現地人労働者約七万人を投入する大工事となった。しかし、もともとの建設計画の杜撰さ、無謀さに加え、食料や医薬品の不足、コレラの蔓延等により悲惨な状況の下で工事が進められ、鉄道隊の要求により、病気の俘虜まで使役される状況であったが、さらに、その後の戦局の悪化により、ビルマ方面への海上輸送がますます困難となったことから、大本営が同年六月工期を四か月短縮して同年八月末までの完成を命じたため、長時間労働が強制されるなどして、多数の死者が出た。

なお、その後、同年八月末完成を目標として工事を強行することはいたずらに犠牲を大ならしめるものであることが認識され、二か月間工期が延長され、同年一〇月、泰緬鉄道は開通した。

4  アルボン島、ハルク島及びフロレス島における飛行場建設工事

オーストラリアへの反攻作戦のために計画された飛行場建設であるが、いずれも珊瑚礁の島で地面が固いのにスコップ程度の道具しかなく、工事は重労働であった。しかも、昭和一八年には、周辺海域の制海権も制空権も敵国に押さえられたため、食料の補給もままならず、使役された俘虜の多くが栄養失調、脚気などに陥った。そして、熱帯のスコールと炎天下での重労働、マラリヤや赤痢などの伝染病の流行により、多数の死者が出た。

5  クタチャネにおける軍用道路建設工事

北スマトラ中央部の山脈沿いに計画された戦略道路の工事で、俘虜約三〇〇〇人が使役された。工事現場は、山中で、医薬品の不足が顕著で、赤痢が蔓延して多数の死者が出た。昭和二〇年二月には、道路の完成を見ないままメダンまで退却することになったが、輸送用のトラック等もなく、山の麓まで徒歩での行軍を強いられた。

6  スマランの民間人抑留所

中部ジャワのスマランにはジャワ軍抑留所の第三分所が設けられ、敵国の婦人及び子供が収容された。昭和一九年七月ころからは、収容者を農作業に従事させるようになった。

二  戦犯者控訴人ら各自の事実関係

次のとおり訂正し、付加し、又は削除するほかは、原判決の理由説示(原判決三〇頁九行目から同六九頁九行目まで)のとおりであるから、これをここに引用する。

1  <略>

2  原判決三二頁四行目の「六月ころ」の次に「、新聞に掲載された俘虜監視員募集の広告を見て郡庁に問い合わせたところ、地元の警察署長と郡守が同原告方を訪れ、郡ごとに朝鮮総督府からノルマが課されていて、一定数を集めなければならないので、是非応募してくれ、応募しないと同原告方への米の配給を減らすこともある旨告げて応募を強く求めたため、当初応募に反対していた両親も説得に応じるところとなったので」を、同六行目末尾の次に「右教育隊における訓練では、戦陣訓、軍属読法及び教育勅語の暗唱はさせられたが、ジュネーブ条約についてはその存在さえ知らされず、上司の命令への絶対服従をビンタなどを伴いながら叩き込まれた。」をそれぞれ加える。

3  原判決三五頁九行目の「出所し」の次に「、故国への帰国の希望を持っていたが、費用もなく、また、対日協力者として白眼視されるおそれがあったので、断念せざるを得ず」を加える。

4  原判決三六頁二行目の「営んでいる」を「営んだ」と改め、同三行目の「、現在」を削り、同五行目の「ある」を「あったが、平成一〇年二月二日死亡し、本件訴訟上の地位を控訴人芦澤承謙が相続した」と改める。

5  原判決三八頁一行目の「六月ころ」の次に「、面長から俘虜監視員への応募を強く勧められ、当時進められていた朝鮮人の戦争への動員の動きや隣家の友人が北海道の炭鉱へ強制連行されていたことなどを考慮すると、軍属としての勤務の方がましであると考えて」を、同三行目末尾の次に「右教育隊における教育は、初年兵教育と同様の軍事訓練と、軍人勅諭や戦陣訓に基づく精神教育が中心であり、いわゆる対向ビンタによる殴り合いもさせられた。」をそれぞれ加える。

6  原判決四〇頁九行目の「同年」を「昭和二一年」と改める。

7  原判決四三頁九行目の「五月ころ、」の次に「右面の日本人の巡査部長から父親を通じて俘虜監視員となることを強く勧められたことから、これを断ると、面の名士であった父親や郡庁に勤務していた兄に迷惑が掛かると考え、やむなく」を、同一一行目末尾の次に「同教育隊においては、徹底したビンタ教育が行われたが、ジュネーブ条約については一切教えられなかった。」をそれぞれ加える。

8  原判決四九頁一行目から同二行目にかけての「六月ころ、」の次に「村の区長から俘虜監視員に応募することを勧められた。しかし、同控訴人が、農業を営む親の跡を継ぐ必要があるとしてこれを断ったところ、右区長は、日本人の巡査部長とともに、同控訴人方を訪れ、断るなら食料の配給を切るなどと言って応募を強要したことから、同控訴人は、やむなく」を、同行目末尾の次に「右教育隊では、厳しい初年兵教育及び戦闘訓練を受けたが、ジュネーブ条約についてはその存在すら教えられることなく、俘虜はいうことをきかなければ叩いて使えと言われた。」をそれぞれ加える。

9  原判決五四頁三行目の「五月ころ、」の次に「郡庁から面役場に届いた俘虜監視員募集に関する公文書を読んで、期間二年、給料月五〇円の条件で和順郡内で三〇名が募集されることを知り、ちょうど面役場の嘱託の仕事に嫌気が差しており、いつ炭鉱に強制連行されるか分からない状況を考慮すると、二年ぐらいなら行ってきてもいいかなと考えて、この」を、同四行目末尾の次に「同教育隊では、初年兵としての教育を受け、上官への絶対服従を徹底して教えられたが、ジュネーブ条約についてはその存在すら教えられなかった。」をそれぞれ加える。

10  原判決六〇頁七行目の「一七年」の次に「、面で強大な権力を持っていた駐在所の日本人の巡査部長に俘虜監視員への応募を強く勧められたことから、これを断わり切れず、やむなく妻と二歳の長男を残して」を、同八行目末尾の次に「同教育隊における訓練は、初年兵教育と同様の厳しいもので、体罰を受けたり、対向ビンタをさせられることがあった。」をそれぞれ加える。

11  原判決六四頁一一行目の「居住しているが、現在も」を「居住していたが、」と改める。

12  原判決六五頁一行目の「ある。」を「あった。同原告は、平成九年四月一八日死亡し、本件訴訟上の地位は、控訴人李學順及び同朴一濬が相続した。」と改める。

13  原判決六六頁七行目の「昭和一七年、」を「昭和一七年当時、既に父は亡く、祖父とともに家業である農業に従事していたが、郡守、面長及び警察の駐在所長から強く勧められて、やむなく」と改める。

14  原判決六七頁六行目の「同年」を「昭和一九年」と改める。

第二条理に基づく国家補償(補償金支払及び謝罪文送付)請求について

この点についての当裁判所の判断は、次のとおりであり、控訴人らの右各請求はいずれも理由がないものと判断する。

一  日本人である元軍人軍属等及びその遺族等に対する戦後補償の立法状況

この点については、原判決七一頁一行目の「2 そして、」を削り、同行目の<証拠略>を<証拠略>と、同五行目の「(一)」を「1」とそれぞれ改めて同一行目から同七二頁二行目までを、同一一行目の「(三) 右平和条約発効後、後記日韓協定前後にかけて」を「2 その後、昭和二七年四月二八日の連合国と日本国との平和条約(サン・フランシスコ平和条約)の発効を待つようにして」と改め、同七三頁六行目の「もっとも」から同九行目の「ない。」までを削って同七二頁一一行目から同七四頁五行目までを右の順序でそれぞれ引用する。

二  韓国人及び台湾人に対する戦後補償の立法状況等

この点については、原判決七二頁三行目の「(二)」を「1」と改めて同行目から同一〇行目までを、同七六頁五行目の「(五)」を「2」と、同七八頁八行目の「(六)」を「3」とそれぞれ改め、同八〇頁八行目末尾の次に「<証拠略>」を加えて同七六頁五行目から同八〇頁八行目までを、同八二頁三行目の「(八)」を「4 他方、」と改めて同行目から同八三頁二行目までを、同七四頁六行目の「(四)」を「5」と、同八行目の「(1)」を「(一)」と、同一〇行目の「(2)」を「(二)」と、同七五頁五行目の「(3)」を「(三)」と、同九行目の「(4)」を「(四)」とそれぞれ改めて同七四頁六行目から同七六頁四行目までを、同八〇頁九行目の「(七)」を「6」と改めて同行目から同八二頁二行目までを右の順序でそれぞれ引用する。

三  戦後補償立法にみられる人道的、国家補償的精神

戦後我が国において立法された多くの戦後補償に関する法律のうち、次のものは、人道的、国家補償的精神に基づいて立法されたものということができる。

1  戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号。以下「援護法」という。)

援護法一条は、「この法律は、軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基き、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護することを目的とする。」と定めている。すなわち、同法は、国家権力により軍務に服せしめられて犠牲となった軍人軍属等の人々に対して、戦争遂行主体であった国が国家補償の精神に立脚してその犠牲について補償を行うことを目的として立法されたものである。(<証拠略>)

2  原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。以下「原爆医療法」という。)

原爆医療法は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者に対する医療給付を定めたものであるが、その立法の目的は、原子爆弾の被爆による健康上の障害がかってみない特異かつ深刻なものであることと並んでかかる障害が戦争という国の行為によってもたらされたものであり、しかも、被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争犠牲者よりも不安定な状態に置かれているという事実に基づいて、人道的、国家補償的配慮から、このような特種の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済を図ろうとしたものであると解されている(最高裁第一小法廷昭和五三年三月三〇日判決・民集三二巻二号四三五頁参照)。

3  台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律(昭和六二年法律第一〇五号。以下「台湾戦没者遺族等援護法」という。)及び特定弔慰金等の支給の実施に関する法律(昭和六三年法律第三一号)

右両法は、台湾戦没者遺族等援護法一条が「この法律は、人道的精神に基づき、台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔意金等に関し必要な事項を定めるものとする。」と定めていること及び前記のような同法の立法の経緯から明らかなように、戦争中に日本の軍人軍属等として動員され、戦死したり傷害を受けたりという犠牲を強いられた台湾住民の人々が、戦後、日本の国籍を失ったりして、日本人の元軍人軍属等及びその遺族に対して適用される恩給法や援護法等の適用を受けることができず、その被った犠牲について何らの補償も受けることができないでいるという状況にかんがみ、人道的精神に基づいて、これらの人々に対して弔意等の意を表す趣旨で弔慰金等を給付することを目的として制定されたものであるということができる。(<証拠略>)

四  諸外国における戦後補償の立法状況

1  アメリカ合衆国

アメリカ合衆国は、第二次世界大戦中、昭和一七年(一九四二年)二月の大統領行政命令に基づき、アメリカ本土西海岸に居住していた日系アメリカ人約一一万人を敵性人種として収容所に強制収容し、その自由を剥奪するなどの犠牲を強いたが、昭和六三年(一九八八年)八月に至り、第二次世界大戦中にアメリカ政府の行った右措置が日系アメリカ人の市民的自由と憲法上の権利を根底から侵害するものであったことを認めて謝罪するとともに、一人二万ドル(約二〇〇万円)の補償金を支払うことを定めた市民的自由法を制定し、当時のブッシュ大統領の謝罪の趣旨を記載した手紙を添えて右補償金の支払を行った。(<証拠略>)

2  カナダ

カナダでも、日系カナダ人に対し、第二次世界大戦中には強制収容や財産の没収等の措置が執られ、戦後には日本への強制送還の措置が執られたが、昭和六三年(一九八八年)八月、カナダ政府と全カナダ日系人協会との間に、カナダ政府は、カナダ政府が第二次世界大戦中及び戦後に日系カナダ人に対して執った取扱いが不当なものであり、人権の原則を侵害するものであったことを承認するとともに、これらの不正を正す象徴として一人二万一〇〇〇カナダドル(約二〇〇万円)の個人補償をする旨等が合意され、当時のマルルーニ首相の右趣旨を承認する旨の手紙を添えて右補償金の支払が行われた。(<証拠略>)

3  ドイツ連邦共和国

ドイツ連邦共和国は、昭和三一年(一九五六年)に連邦補償法を制定し、ナチス政権が第二次世界大戦中に行ったユダヤ人大量虐殺等の犠牲者やその遺族に対して年金などの形で補償を行うことを定め、平成二年(一九九〇年)までに総額八六四億マルク(約六兆九〇〇〇億円)の支払がされ、平成四二年(二〇三〇年)までにはその額は一二〇〇億マルク(約九兆六〇〇〇億円)に達する見込みであるとされている。(<証拠略>)

4  オーストリア

昭和一三年(一九三八年)にドイツに併合されたオーストリアでは、ナチスの被害者であるとの意識が強く、加害者としての補償責任について対応が遅れていたが、平成七年(一九九五年)六月、ナチスと共に戦争に加担した責任を自覚し、右ドイツ併合から昭和二〇年(一九四五年)の戦争終結までの間に迫害され、強制収容所などに送られたユダヤ人やジプシー、共産主義者、同性愛者などを対象とする戦後補償のため総額五億シリング(約四五億円)の基金を創設することを定めた「ナチス被害者賠償国家基金を定めるオーストリア連邦法」を制定した。(<証拠略>)

五  条理に基づく国家補償請求の許否

1  控訴人らは、右三及び四にみた我が国における援護法、原爆医療法、台湾戦没者遺族等援護法等の戦後補償立法やアメリカ合衆国、カナダ、ドイツ連邦共和国及びオーストリアにおける戦後補償立法等の根底には、戦争という国家の行為によってもたらされた犠牲・被害については、戦争遂行主体であった国家が自らの責任によりその救済を図るべきであるという条理が存在するとして、右条理に基づき、戦犯者控訴人らが被った戦争犠牲・被害について象徴的補償としての補償金の支払及び謝罪文の送付を請求する。

右三及び四にみた我が国及び諸外国における戦後補償に関する立法が人道的ないし国家補償的な配慮に基づくものであることは、既にみたとおりである。そして、右各種戦後補償立法の制定の経過と併せ考えると、第二次世界大戦において国家の権力により犠牲を強いられ、被害を受けた者たち、特に、違法な国家権力の行使によって犠牲・被害を被った者たちに対しては、国家の責任においてその被った犠牲・被害について一定の補償をすべきであるという認識が次第に我が国を含めた世界の主要国の共通の認識として高まりつつあるものということができる。しかしながら、他方、右各種戦後補償立法による戦後補償は、いずれも、右立法を待って初めて行われるに至ったものであり、立法を待たずに行われたものではない。しかも、右各立法は、いずれも、単に人道的、国家補償的な配慮だけに基づくものではなく、政治的、社会的、財政的その他の見地からする配慮をも合わせた総合的判断に基づき、しかも、いろいろの紆余曲折を経てようやく制定されるに至ったものであることに留意しなければならない。このような点にかんがみれば、右のような戦争犠牲・被害については、しかるべき補償のための立法がされることが強く望まれるとしても、立法を待たずに当然に右犠牲・被害を被った者たちが国に対して補償を請求することができるということが我が国や世界各国の共通の認識として存在していて、それが法の欠缺を補充する条理にまで高められているものとはいまだ認めることができない。したがって、戦争犠牲・被害については立法を待たずに当然に戦争遂行主体であった国に対して国家補償(控訴人ら請求の補償金支払及び謝罪文送付のいずれについても)を請求することができるという条理は、いまだ存在しないものといわざるを得ない。

そうすると、戦犯者控訴人らは、前記認定のとおり、当時日本国の植民地支配を受けていた朝鮮半島出身者であり、半ば強制的に俘虜監視員に応募させられ、日本軍の一員として俘虜の監視等に従事し、戦後は戦犯として死刑判決を受ける等して深刻かつ甚大な犠牲ないし被害を被ったものではあるが、控訴人らが条理に基づき当然に被控訴人に対して右犠牲・被害について補償を請求することはできないものといわざるを得ないから、控訴人らの条理に基づく補償金支払及び謝罪文送付の各請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないことになる。

2  また、控訴人らは、日本国憲法は、戦後補償について明文をもって定めてはいないが、その前文、九条、一三条等の規定に照らしてみると、戦争遂行主体であった国家は自らの責任により当該戦争犠牲・被害を補償すべきであるとする条理が憲法上承認されているとも主張する。

しかしながら、日本国憲法の前文は、日本国及び日本国民が、今次の戦争の経験を踏まえて、平和国家、民主主義国家建設の決意を表明し、これを基本理念として憲法を制定することを宣言したものであって、それによって具体的な権利を国民その他の者に賦与し、あるいは保障したものと解することはできない。また、憲法九条あるいは一三条等の規定が控訴人らが主張するような具体的な戦争犠牲・被害に対する補償請求権を保障しているものと解することもできない。けだし、今次の戦争においてはほとんどすべての日本国民が様々な被害を受け、その態様は多種多様であり、その程度において極めて深刻なものが少なくないことは、公知の事実である。しかし、戦争中から戦後にかけての国家の存亡に関わる非常事態にあっては、国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命、身体、財産等の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも戦争犠牲ないし戦争被害として、国民の等しく受忍しなければならないものであり、これに対する補償は憲法の右条項の予想しないところといわなければならない。したがって、右の補償をすべきかどうか、補償をするとしてどのような内容の補償とすべきか等は、国家財政状態、社会経済状態、国民の意識、戦争によって国民が被った被害の内容、程度等を基礎とする総合的政策判断を伴う立法府の裁量的判断に委ねられているものと解さざるを得ない(最高裁第一小法廷平成九年三月一三日判決・民集五一巻三号一二二三頁参照)。なお、右の判断に当たっては、前記1において説示した戦後補償に関する内外の立法の動向及びそのような立法の根底にある人道的ないし国家補償の精神についても考慮を払う必要があることは、いうまでもないところである。

控訴人らは、戦犯者控訴人らは植民地出身者として戦争のみによる犠牲・被害だけでなく、植民地支配の結果の犠牲・被害も加重された、日本国民とは異なる特別の犠牲・被害を被ったとして、憲法はこのような植民地支配の結果生じた特別の犠牲・被害を補償すべきことを求めていると主張するが、憲法の右条項から憲法が控訴人らの主張するような植民地支配の結果の犠牲・被害について補償すべきことを求めていると解することのできないことも、既に説示したところから、明らかである。

3  そして、その他控訴人らが主張するところを検討してみても、控訴人らの主張する戦争犠牲・被害について国家補償をすべきであるとする条理の存在を認めるに至らない。

第三債務不履行による損害賠償請求について

一  勤務年限について

前記認定の戦犯者控訴人ら各自の事実関係並びに<証拠略>によれば、戦犯者控訴人らは、いずれも勤務年限を二年として傭人ないし雇員として採用されたこと、しかし、戦犯者控訴人らは、右勤務年限が終了しても、当時の戦局のため、そのまま終戦まで勤務を継続せざるを得なかったことを認めることができる。そうすると、戦犯者控訴人らと国との間の傭人ないし雇員の法律関係が民法上の契約関係であるか公法上の関係であるかはともかく、いずれにしても、二年という勤務年限の定めのある関係であったことは明らかであり、戦犯者控訴人らが戦犯者として戦争裁判を受けるに至った前記認定の経緯にかんがみると、戦犯者控訴人らが右二年の勤務年限終了と同時に帰国することができていれば、事実上戦犯者としての追及を免れ得て、戦争裁判を受けずに済んだ可能性がなかったわけではないといえよう。しかしながら、戦犯者控訴人らが俘虜監視等の業務に従事していた右勤務年限中に俘虜虐待等戦犯者として訴追されるべき事実が存するならば、右勤務年限終了と同時に帰国することができていたとしても、法的には戦犯者としての追及、ひいては戦争裁判を免れ得ないのであるから、右勤務年限終了と同時に帰国することができていれば事実上戦犯者としての追及を免れる可能性があったからといって、戦犯者控訴人らを右勤務年限終了と同時に帰国させなかったことと戦犯者控訴人らが戦犯者として戦争裁判を受け、処罰されたこととの間には相当因果関係はないものといわざるを得ない。

二  安全配慮義務について

1  国又は使用者は、公務員又は労働者に対し、公務遂行又は労務提供のために設置する場所、施設若しくは器具等の設置管理又は上司の指示の下にする公務の遂行若しくは労務の提供の過程において、公務員又は労働者の生命、身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解すべきである(最高裁第三小法廷昭和五〇年二月二五日判決・民集二九巻二号一四三頁、最高裁第三小法廷昭和五九年四月一〇日判決・民集三八巻六号五五七頁参照)。そして、右のような安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであり、大日本帝国憲法の下における国と軍属との間でも、存在しないものではないと解される。

しかしながら、右の安全配慮義務の具体的内容は、公務員ないし労働者の職種、地位、公務ないし労務の内容及びその提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものであり、軍属については、敵の攻撃等により生命、身体等が危険にさらされることが予想される軍務の特質から、一般の公務員に比してその適用範囲が制限されるし、当該勤務が戦時下に戦地において遂行されるものである場合には、更にその適用範囲が制限されるというべきである。

2  これを本件についてみるに、前記認定のとおり、戦犯者控訴人らが俘虜監視等の業務に従事したのは、昭和一七年八月ころ以降昭和二〇年八月の終戦に至るまでの戦時下の、日本軍の占領地域であったタイ、マレー、ジャワ等の収容所や工事現場等においてであった。そうすると、被控訴人は、戦犯者控訴人らが俘虜監視等の業務の遂行に当たる当該具体的状況の下において、敵の攻撃、俘虜の反抗等により戦犯者控訴人らの生命、身体等に危険が及ぶ可能性を予測し得るときは、可能な限りこれを排除するに足りる諸条件を整え、もって同人らにかかる危険が及ぶことのないよう配慮すべき義務を負っていたものというべきであるが、国際条約に違反する俘虜政策(前記認定のとおり、我が国は、昭和四年七月二七日に成立した「俘虜の待遇に関する条約」(ジュネーブ条約)に調印はしたが、批准をしなかったところ、太平洋戦争開戦後、連合国側からの右条約遵守の意向有無の照会に対し、繰り返し同条約を準用する旨回答していた。<証拠略>)が採られている下で俘虜監視等の業務に従事した者が敗戦後に戦勝国による戦争裁判において戦犯者として処罰されるかどうかということは、たとえそれが当時の戦時犯罪についての国際法の解釈として認められる余地のあるものであったとしても、被控訴人と戦犯者控訴人らとの間の法律関係の付随義務として認められる安全配慮義務の範囲外の事由であるというべきである。もちろん、国際条約は遵守されるべきであり、これに違反する俘虜政策を採ることは、国家として国際条約違反との非難を受けることはいうまでもないが、そもそも、戦争は、各当事国がその国家の存亡をかけて勝利を目指して行うものであり、また、戦時中の俘虜虐待等の戦時犯罪について戦闘行為終了後に行われる戦争裁判は戦勝国によって行われるのが通例であるから、戦争遂行中に、敗戦した場合を想定し、敗戦後に敵国である戦勝国によって戦争裁判で処罰される危険を回避すべき措置をとることを求めることは、国と軍属等との間の法律関係に係る安全配慮義務の範囲を超えるものといわざるを得ない。

3  したがって、この点に関する控訴人らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

第四国家補償立法不作為違法確認請求(第二次的請求)について

次のとおり付加し、訂正し、又は削除するほかは、原判決の理由説示(原判決一〇〇頁二行目から同一〇五頁一〇行目まで)のとおりであるから、これをここに引用する。

一  原判決一〇〇頁二行目及び同七行目の各「戦犯者原告ら」をいずれも「韓国・朝鮮出身の元BC級戦犯者たる俘虜監視員」と改め、同三行目の「被告が」の次に「一人当たり二〇〇万円を支給する」を加える。

二  原判決一〇三頁九行目の「原告下光洙」から同一〇四頁三行目末尾までを「被控訴人が韓国・朝鮮出身の元BC級戦犯者たる俘虜監視員に一人当たり二〇〇万円を支給する国家補償立法を制定しないことは違法であることの確認」を求めるというものであり、控訴人らは、戦犯者控訴人ら各人に支給されるべき象徴的補償の額は、条理上少なくとも各二〇〇万円を下ることはないとして、韓国・朝鮮出身の元BC級戦犯者たる俘虜監視員一人当たり少なくとも二〇〇万円を支給する旨の国家補償立法をなすべき条理上の作為義務がある旨主張する。」と改める。

三  原判決一〇四頁四行目の「戦犯者原告ら」を「韓国・朝鮮出身の元BC級戦犯者たる俘虜監視員」と、同一一行目の「当たらないのみならず」を「当たらないし、右のような条理上の義務を認めることができないことは前記第二の五に判示したとおりであるから、本件に係る国会又は国会議員の立法不作為は違法の評価を受けるものではない。また」とそれぞれ改める。

四  原判決一〇五頁一行目の「、前記戦犯者原告ら」を「韓国・朝鮮出身の元BC級戦犯者たる俘虜監視員」と改め、同二行目の「としても」の次に「、右補償金額が二〇〇万円を下らないことが条理上当然に認められるものではないことは前記説示のとおりであるし、そうであるとすれば」を、同一〇行目の次に行を改めて次のとおりそれぞれ加える。

「四 なお、付言するに、前記認定のとおり、朝鮮半島出身者である元日本軍人軍属等及びその遺族は、サン・フランシスコ平和条約の発効と同時に日本国籍を喪失したため、いわゆる国籍条項により援護法及び恩給法の適用から除外され、また、サン・フランシスコ平和条約により、朝鮮半島、台湾等の地域の住民の日本国及び日本国民に対する請求権の処理は、日本国とこれらの地域について施政を行っている当局との間の特別取極の主題とされ、朝鮮半島出身者である元日本軍人軍属等及びその遺族の日本国に対する請求権の処理も、日本国と朝鮮半島の地域について施政を行っている当局との外交交渉によって解決することとされたところ、その後の日韓請求権協定及び日韓両国政府の取扱いにより、戦犯者控訴人らについては、日韓両国のいずれからも補償等を受けることができないこととなった。このことは、国際的、政治的その他の諸事情によるやむを得ない面があったとはいえ、戦犯者控訴人らについてみれば、ほぼ同様の境遇にあった日本人、更には台湾住民と比較しても著しい不利益を受けていることは、否定できないところである。

このような状況の下で、前記認定のような経緯で俘虜監視員となり、戦犯者とされた戦犯者控訴人らが不平等な取扱いを受けていると感じることは、理由のないことではないし、ひとしく日本人として、そして、日本軍の一員として今次の戦争に参加した戦犯者控訴人ら朝鮮半島出身の元軍人軍属等について日本人又は台湾住民の元軍人軍属等についてと同様の補償を可能とする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く控訴人らの心情も、理解し得ないものではない。

この問題について何らの立法措置が講じられていないことが立法府の裁量の範囲を逸脱しているとまではいえないとしても、さきにみたように、問題によっては、人道的、国家補償的見地からする戦後補償立法が我が国及び先進主要国においてみられる実情にかんがみるとき、右の立法化が必ずしも人道的、国家補償的配慮のみに基づくものではなく、政治的、社会的、財政的その他の見地からする配慮をも合わせた総合的判断に基づくものであり、また、右立法化の対象となった問題が本件における問題とその内容、情況等を異にするところがあることを考慮してもなお、右の問題について適切な立法措置がとられるのが望ましいことは、明らかである。第二次世界大戦が終わり、戦犯者控訴人らが戦犯者とされ、戦争裁判を受けてから既に五〇年余の歳月が経過し、戦犯者控訴人らはいずれも高齢となり、当審係属中にも、そのうちの二人が死亡している。国政関与者においてこの問題の早期解決を図るため適切な立法措置を講じることが期待されるところである。」

第五結論

よって、本件控訴(金員の支払請求に係る部分。なお、その余の請求については、当審における訴えの交換的変更により、取り下げられた。)は理由がないから、これを棄却することとし、当審における新請求のうち、国家補償立法を制定しないことの違法確認を求める請求に係る訴えは、不適法であるから、これを却下し、その余(謝罪文の送付を求める請求)は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項、六一条、六五条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石井健吾 杉原則彦 星野雅紀)

(別紙)

謝罪文

日本国は、今世紀初頭、自国の利益のため、「朝鮮」を植民地化し、他民族である、「朝鮮民族」に対し皇民化政策を執り、アジア太平洋戦争中の一九四二年(昭和一七年)、朝鮮の若者を日本軍の軍属として動員し俘虜の監視に当たらせました。そして、戦後、日本の戦争責任を肩代わりさせ、BC級戦犯として、処刑されたり、長期の拘禁生活を余儀なくさせ、出所後も対日協力者として周囲から白眼視されるなど、筆舌に尽くし難い肉体的精神的苦痛を与えてしまいました。

しかも、みなさんが一九五五年(昭和三〇年)結成された「同進会」の四〇年余にわたる謝罪・補償要請に対し、日本政府は適切な措置を執りませんでした。

このような重大な人権侵害の結果について、私は、日本国を代表して、日本の戦犯とされた韓国・朝鮮出身の元俘虜監視員のみなさんとみなさんの家族に心から謝罪をし、謝罪のしるしとしての補償金をここにお渡し致します。

もとより、謝罪の言葉や補償だけで、みなさんの失われた歳月を取り戻し、みなさんの被った深い傷を癒すことは到底できません。そのことに思いを致し、平和と人権を密接不可分とし「全世界の国民の平和に生存する権利」を確認している日本国憲法を遵守し、日本国政府が、再びこのようなことを起こさないよう今後最大限の努力を払う決意をこの機会に改めて表明します。

年 月 日

日本国代表者

内閣総理大臣 (氏名)

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